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【衝撃】ぼくたちの先祖は毎日、混浴風呂に入っていた!?――中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』

 タイトルは釣りです。

 

 というのこそ冗談で、今回ばかりは本気である。本書の探求は、江戸時代末期(1854年)に描かれた次の一枚の絵にたいする「違和感」からはじまる。 

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画像引用:PUBLIC BATH AT SIMODA. (下田の公衆浴場) - 日本の風俗 

 

 裸の男女が場をともにする浴場、つまり「混浴」という状況なわけだが、僕たちがふつうイメージするそれとはいささか様子が異なっている。男女ともに自身の裸体を隠すような素振りはなく、異性の裸体を追う視線の存在もまた、この絵には「欠落」しているのである。あたかも互いの裸に関心がないかのように。――そんなことがありうるのだろうか…?

 

 そうした感覚はまさに、この絵を描いた西欧の画家たちとも共通するものだった。鎖国政策が解除された異邦の地・日本に外交業務でやって来た彼らは、自分たちの文化からすれば、およそ想像できない光景を目にする。公衆浴場(当時の「湯屋 ゆうや」)では、老若男女を問わず、裸の人びとが何のためらいもなく場をともにし、湯を浴びているのだ。こうして「発見」された日本人のショッキングな風習について、当時来日していた外交官たちの報告書に多数記録されているという。

 

裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)

裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)

 

 

現代とは異なる裸体観

 当時の日本人の裸体にたいする態度は、西欧の人びとからは極めて奇異なものだった。それは浴場での行動に限らない。夏場などは「暑いから」という理由で、着物も身につけず裸のままで、近くにある自分の家まで湯屋から帰ったりする。それを恥ずかしいと思うこともなければ、他人のそうした行為を見て「みっともない」と感じることもない。それが当時の日本人にとってふつうの感覚だった。

 

 彼らは人前で行水をおこなうことにも、何の抵抗も示さない。ホームズ船長という人物がどこかの家のそばを通りかかったとき、行水用の桶が目に入った。そこで遭遇したのは、年ごろの少女がいままさに行水へと向かう場面である。 

 

「愛らしい少女が家から裸であらわれて、家の前約12フィート(3.6メートル)のところにある長方形の桶の風呂に行く途中、彼女とぶつかるのを避けようとして、私は立ちどまった。彼女は顔を赤らめもせずに私の横を通りぬけ、雄鹿のようなすばやさで風呂にとびこんだ」。

 

船長は裸の少女を前にして、「男が家からとびだしてきて、私が侵入してきたことをとがめるのではないか」と心配する。が、それは杞憂に終わる。「そんなことはなく、きれいな少女はくすくす笑っただけだった。保護者もみえず、その美少女が真昼の太陽のなかではしゃいで楽しむのをそのままにし、公道でみられた奇妙な光景を回想しながら、私は、女性にやさしい船乗りとして、帆を一杯に張って歩をすすめた」。*1 

 

 別の場面では、「行水していた娘がたらいから飛び出して、逃げるのではなく、外国人のそばにやって来るのである。当然、裸のままで」*2、という状況すらあったらしい。外国人に対する好奇心と、自分の裸体に対する無関心、そのアンバンスさに戸惑う彼の心境が容易に想像されるかんじがする。

 

 ほかにもこんな話が紹介されている。西欧という異国からの客人を自宅に招いた主人が、家のなかにあるさまざまなものを指さして、「これは英語でなんというのか?」と質問していた。一連のやりとりを楽しむなかで、その主人は体の部位についても順番に聞いていく。そのうち着物を脱ぎ、みずからの男根をつかみながら「これはなんというの?」と平然と聞いたという。妻や娘も同席する場であるにもかかわらず、である。

 

 本書ではこうしたエピソードが数多く紹介されている。そこから見えてくるのは、裸(とりわけ性器)を隠そうという意識がきわめて希薄な、当時の日本人の裸体観だ。彼らにとっては、裸とはあくまでも顔の延長にすぎない。現代に生きる僕たちも、顔を他人に晒しているからといって、そのこと自体に羞恥心をかんじることはない。とはいえ、ジロジロと無遠慮な視線を受ければ嫌な気分になるだろう。それに近いような感覚であったらしい。

 明治維新のヒーローとして大人気の坂本竜馬には、後に明治政府で陸軍少将や宮内大臣を歴任する田中光顕という腹心がいたが、かつて竜馬とその妻・お龍の三人で風呂に入ったという思い出を田中は語っている。三人の間には、文字どおり隠すべきものは存在しなかったのである。

 

日常品(コモディティ)化する裸体

 日本は襖(ふすま)の文化であり、西欧人からすると日本人にはプライバシーの意識がまるでないかのように見える、などと言われたりする。じっさい、明治初期頃までの日本では、寒さが厳しい時期を除けば、どの家も玄関をはじめ家じゅうの戸は開けっ放しで、風通しよく、外から中は丸見えなのがふつうだった。

 現代から見たときのその「異常さ」が受入れられていた事実も、ここまでの文脈を踏まえてみれば理解が可能になる。西欧的なプライバシーの感覚をすでに身につけたぼくたち現代日本人にとって、羞恥心をかきたてる代表的なものに自身の「裸体」が挙げられるわけだが、かつての日本人はその「裸体」自体には恥をかんじることがなかった。つまり丸見えで、何の問題もないのである。

 

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画像引用:綺麗すぎ!江戸幕末〜明治の美人女性の古写真25枚まとめ -瑠璃色Tradition- 

 

 当時の女性たちを描いた絵や写真で、着物を腰まで脱いで上半身裸のまま化粧をする姿を見たことがある人も多いだろう。開けっ放し、丸見えの家々が並ぶ町中では、こうした光景が目に入るのは日常的なことだった。そこにエロスはないのである。

 

 著者はこうした裸体の「日常品(コモディティ)」化こそが、江戸時代末期~明治初期までの日本における、性の管理を特徴づける現象ではないかと主張する。養老孟司が提唱した「唯脳論」によれば、脳は自身が生き延びるために肉体を含めた自然を管理するのだが、とりわけ重要になるのが暴力と性の管理である。これらふたつの要素は扱い方をまちがうと、容易に脳にとっての脅威になりうる。

 そこで脳は、性の危険性を縮減し飼いならすために、大きくふたつの方法を採用することになる。ひとつは性を徹底的に隠すことによって、もうひとつは性をオープンにして日常品化することによって。いうまでもなく、前者が西欧社会が選んだ方法で、後者がかつての日本社会がとった方法だ。すぐにわかるように、日常品化・コモディティ化されたものはありがたみを失う。裸体は普段隠されているからこそ価値を持つのだ。こうして裸体は顔の延長物とみなされ、「安全」なものとして扱うことが可能になる。 

 

裸体と羞恥心、性愛の関係 

  でもそうなると気になるのは、日本人の性生活と裸体の関係性だ。だいいち日本は春画文化が盛んな国でもあったはずで、ここまでのいわば「淡泊」な裸体観との整合性は一体どうなっているのか?

 

 「羞恥心をもつということは、裸体とセックスを強力に結び付けることに他ならない」*3と著者が分析するとおり、羞恥心が生じないということは、「裸体=セックス」を結び付ける回路が薄弱であるということだ。裸体はコモディティ化されてしまっているのだから、それは当然である。

 しかしながら、当時の日本人は裸体に対してまったく性的な魅力を見いだしていなかったわけではもちろんない。美術史家の宮下規久朗が言うように、「裸体は衣に覆われた部分との緊張関係におかれることによってはじめて性的な魅力を生み出す」。すなわち、「性愛は、裸体になるかどうかではなく、場面や状況によって生ずるものであった」*4

 

 ようするに欲情のスイッチは特定の行為に結び付いているのであって、「裸体」それだけでは性愛の条件が揃っていないということだ*5春画において異様に性器が強調され、また全裸の男女がきわめて少ないという事実*6も、この仮説を後押ししているように思われる。

 

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 また春画には、子どもが登場する作品がじつは少なくない。この写真は群馬県珍宝館で撮ってきたもので、初めて見たときには「こんなのアリ!?」と衝撃を受けたのだけど、それは現代の目線でこの絵を見るからこその「ありえなさ」にすぎなかった、ということが本書を読んでよく分かった。性愛をオープンに管理する以上、性愛に不可欠な裸体もオープンにならざるを得ず、当然、子どもたちが性愛の場にアクセスすることも比較的容易だったわけだ。そしてそれは、性虐待やトラウマといった文脈に必ずしも直結しない、ということでもあるだろう。

 

ラブホテル進化論 (文春新書)

ラブホテル進化論 (文春新書)

 

 

 『ラブホテル進化論』はラブホ文化を社会学的に分析した著作で、寝室という夫婦だけのプライベートな空間がない、といった日本の住宅事情がラブホテルの登場と発展に大きく寄与していることが指摘されていた。ただこの本だけでは分からなかったのは、そもそもなぜ日本の住宅にはプライベートな空間が用意されてこなかったのか、ということだった。「必要がなかった」というシンプルなだけに想像しがたい理由がその答えになるわけだが、価値観の変遷を追うことで初めて見えてくるものがあるのだと、改めて痛感させられる。

 

西洋文明の複眼に晒される〈未開人〉

 江戸時代、地域ごとにグラデーションはありながらも、混浴文化は広く全国的に行き渡っていたと考えてよいようだ。ただじつは、幕府は混浴を禁止したいと考えていた。幕末にはとくに西洋文明からの厳しい視線も意識していたし、日本の「近代化」には避けて通れない施策のように思われた。でも幕府にはそれを徹底するだけの余力も気力も残っていなかった。

 他方、新・明治政府を取り仕切った人びとは、幕藩体制でいえば下級武士に属する人たちであり、力を失いつつある旧体制との差別化、力のちがいを見せつけるのに格好の政策となったのが混浴禁止令や、町中での裸体禁止令の徹底であった。ここから少しずつ、しかし確実に、現代的な羞恥心を日本人が身につけていくようになる。

 

 ところで笑ってしまったのが、混浴文化をまなざす西欧人たちの態度である。開国以来増えていった外国人入国者の数とともに、日本の公衆浴場は「訪日したのならば必ずチェックしておきたい観光名所のひとつ」になっていた。それは自文化とはまったく異なるエキゾチズムを満足させるとともに、性的な興味をも満たす大きな関心の対象であった。

 西欧の人びとは裸の日本人たちに遠慮のない視線を向けた。裸体を堂々と晒す〈未開の文明〉に対する批判的な「冷たい視線」とともに、裸体を性的対象と見る「熱い視線」を。「野蛮でじつにけしからん」などと言いながら、その裏にあるホンネを隠せずにいたのである*7。新政府の禁止令に加えて、こうした部外者の視線によって、日本人は羞恥心においても「近代化」を成し遂げたといえるのではないだろうか。

 

関連まとめ?

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*1:『裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心』pp.94-95

*2:同書p.96

*3:同書p.104

*4:同書p.112

*5:本書によれば、じつは中世のヨーロッパでも似たような状況であり、日本よりひと足先に、視覚優位な性愛の条件が成立したにすぎないという。中野氏は『羞恥の歴史』の著者ジャン=クロード・ボローニュの以下の言葉を紹介している。「羞恥は中世では行為に結びついていたが(裸の肉体が接することによって惹き起こされる淫蕩な行為)、16、17世紀には視覚に依存するようになる」(同書p.112)。

*6:日本近世文化を研究したタイモン・スクリーチは、裸体自体が日常品化される社会では、現代とは比較にならぬほど男女の差があいまいになることを指摘したうえで、「衣服や髪型のジェンダー的コード化がいやが上にも重要にならざるをえなくなった」と分析しているそうだ。

*7:さらに補足しておけば、こうした構図があったことを明らかにしたのもまた西欧人たちの記録・自己批判によるところは大きい。そのことも本書では詳しく紹介されている。