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野心的な建築たち――五十嵐太郎『現代建築のパースペクティブ』

 自身が建築家であり建築批評の領域でも活躍する著者とともに、日本国内の現代建築を「眺めて歩く」ことを意図したような一冊。商業施設を中心に東京都内の建築が淡々と紹介される序盤こそ退屈にかんじたが、地方建築、住宅、そしてクルマからみた建築とテーマが展開されるうちに、俄然おもしろくなってきた。

 

現代建築のパースペクティブ  日本のポスト・ポストモダンを見て歩く (光文社新書)

現代建築のパースペクティブ 日本のポスト・ポストモダンを見て歩く (光文社新書)

 

 

 退屈と言ってしまったが、東京の建築や商業施設だから面白くない、という意味ではもちろんない。というのも、この本では紹介される建築の写真がどれもこれもショボイ。ひとつの建築に一枚、モノクロの小さな写真が申し訳程度に添えられただけだったりする。紙面の都合だろうが、ちともったいない。ネットで画像検索しながら読むと、鮮やかなイメージが膨らんで一気に興味がわいてきた。*1

 

 それはともかく、身近なところにある作品から建築の世界のもつ魅力を語ってみせる著者の企てはおおむね成功しているのではないだろうか。現代建築に限らず現代アート等でもおなじことと思うけど、一見奇抜なカタチや意外性のある素材が採用されるのには、基本的に何らかの意図が込められている。そうした「意味」(あるいは文脈)の摂取をサポートしながら、簡潔な見どころを提示する試みとして、本書はすぐれたガイドブックになっていると思う。「意味」を獲得した視線で改めて周囲を眺めかえせば、目の前の風景が一変しているのがわかる。

 

時代とともに変わる建築観

 本書のなかでは、自動車と建築の関係を考察する第4章にいちばん興味をもった。建築や都市計画を考えるときには、人が歩く街路だとか人が集まる広場が大事な要素になってくるのだけど、そのとき自動車というのは長らく邪魔な存在と考えられてきたという。人間の身近な身体感覚とはちがう暴力的な存在、人間同士の交流を阻害する異物としてのクルマ、という考え方だ。自動車が庶民の生活のなかに登場してしばらくは、このような発想が支配的だった。

 

 ところが自動車が不可欠な時代になり、そうした条件で生きることが当たり前の世代が登場すると、「自動車=悪」という発想がそもそもなかったりする。すると彼らは、先行世代とはちがったアプローチを試み始める。生活に根差したクルマを、等身大の感覚でもってポジティブな存在として読み替えるのだ。

 

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画像引用:八代のショッピングセンター計画案 | みかんぐみウェブサイト 

 

 たとえば、みかんぐみのように、ショッピングセンターの駐車場と公園を統合させるような提案*2がその一例だろう。従来、駐車場は景観を破壊するものとみなされ忌避されてきた。だが、クルマを前提にした地域社会においては、隠すよりもむしろ、積極的に生活空間・交流の場として取り込んでしまうべきだろうというスタンスである。

 団地やコンビニにたいしても同じような価値転倒がおこっていて、社会の均質化・画一化の象徴というネガティブな視線から、「同じもの」のなかの微細な差異に注目し、評価するような価値観が登場しているそうだ。

 

首都高に注目する

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画像引用:MJアーカイブス - 清水草一オフィシャルサイト 

 

 それにちかい観点として、「首都高速ガイドブック」という試みにも興味をひかれる。高速道路もまた景観を乱す無機的な存在として否定的な評価がなされてきた。しかしそれとは異なる見方だってあるうる。

 東京で一番大きい構築物は何か? それは東京タワーでも新都庁舎でもなく、首都高速道路である、と話すのはアトリエ・ワンを主催する塚本由晴氏。移動の手段としての意義とかではなく、首都高というメガストラクチャーそのものを建築的観点から観察する研究に取り組んでいる。建築の常識では考えられないようなダイナミックな空間を、首都高のさまざまな場所で発見できるのだそうだ。その成果は以下にまとまっているそうなので、ぜひいずれ読んでみたい。

 

10+1〈No.16〉

10+1〈No.16〉

 

 

 同じ“首都高と建築”でも、「首都高から見える建築」に注目してみるとまたちがったものが見えてくる。著者の五十嵐氏は、首都高を走ることじたいを目的とした首都高速バスツアーを企画したことがあるらしい。なにを見るのかといえば、車窓から建築を見る。戦後以降に蓄積されたさまざまな建築物が首都・東京には存在し、そのうちのいくつかは首都高の車窓からも見つけることができる。

 

 いうまでもなく、高速道路は目的地までより早く到着するための手段である。だから渋滞はイライラする。でも建築を眺める目的で走ってみたらどうだろう? むしろ、ゆっくりじっくり観察することができるのではないか。しかも地上からとは違った視点、さらには都市の風景のつながり方も体感できる、東京の情報を圧縮的に摂取できる体験。――五十嵐氏は言う、「建築を見ていれば、渋滞しても楽しい」と。  

 以下の記事は、そんな観点からの紹介作品を参考にまとめてみたものである。首都高からの見え方を意識している建築は思いのほか多いらしく、走行中のクルマからでもはっきりと確認できるダイナミックな構造の作品が中心になっている。眺めるだけで楽しい。ご興味があれば、こちらもぜひご一読を。


【東京】渋滞はむしろチャンス!? 首都高の車窓からのぞむ現代建築の名作14選 - トラベルブック

 

欲望を喚起する建築 

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画像引用:金沢21世紀美術館 - Wikipedia 

 

 それにしても『現代建築のパースペクティブ』にはいろいろな作品が登場する。なかでも、金沢21世紀美術館はぜひ見に行かなくちゃという気持ちにさせられた。外観はこのうえなく「円」ってかんじなのに、館内に入ると「円」の印象、存在感を意識的に消している、といった話とか。自宅は一生賃貸でいいかなと思ってるんだけど、建築家による個人宅の設計にもすごく興味を持っちゃったよ。

 

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*1:まあこの点は、いまや画像検索ができるので、実際にはさほど問題がないといえるかもしれない。本書が書かれた10年前では難しかったかもしれないが、いまなら「ネットで画像検索してちょ」とアウトソーシングを前提してしまうことも可能で、それで事足りてしまう部分も多そう。

*2:残念ながら、この計画は実現されなかったそうだが。