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マーケッターと職人のあいだで──〈中途半端〉な自分はどう生きるか

 ゆーすけべー(@yusukebe)こと和田さんの記事に刺激をうけたので書こうじゃあないか。

  • クリエイタータイプは自分がこれからつくろうとしているモノを妄想して、それを自分の価値観でつくって動くモノが出来た時に達成感を感じる。それが一番やりがいを感じる
  • 一方のタイプは商品も売ることも含めて「ありがとう」と喜んでもらえることが一番嬉しい

 顧客満足を求めるか、自分の美意識を達成したいか? - ゆーすけべー日記

 

 数年前、ゆーすけべーブログの熱心な読者だった時期がある。彼の印象は「エロにたいする異様な執念を燃やすひと」だったが、面白いサービスを次々に立ち上げる姿はインパクトがあった。Twibツイッターが流行りはじめた頃に出来たウェブサービスで、「はてなブックマークツイッター版」として当時話題になった。ぼくも好きなサービスのひとつ。形になってしまえば単純だが、“意外と盲点になっている切り口”を見つけるのが上手いなあと毎度関心させられた。

 

 和田さんはいま、トラベルブックの技術課題やサービスコンセプトを一緒になって考えてくれている。CTOの高木氏(@0su43)がつないでくれた縁なのだが、昔読んでいた何かすごいブロガーが目の前でしゃべってる状況には、いまだに不思議な感慨がある。

 

 ぼくにとって当時、同じように憧れた存在としてtwilogでおなじみのロプロスさん(@ropross)がいた。彼もまたツイッターを上手く活用したサービスを中心に、いくつもサービスを立ち上げていた。ネット越しに垣間見るおふたりは、とにかく楽しそうだった。そのうえサービスに連動させたアフィリエイトでそこそこ稼いでいそうだった(←ここ重要)。

 

 上手いことやれば、自分にもできるのではないか? と考えた。ぼくもプログラミングが好きだった。業務ではJavaばかり書いていたが、休日にPHPPythonを勉強して、ウェブサービスをいくつか作ったりした。とても楽しかった、が、まったく流行らなかった。新サービスを公開しては飽き、の繰り返し。当時は「面白いコンセプトさえ思いつけばなー」とか思っていたが、そのうち、別な理由があるのではないかと思い始めた。

 

「どちらにもなれない」 という現実

 ぼくは今でもプログラミングは好きである。ただ、その「好き」の度合いを巡って、自分が憧れるひとたちとは大きなギャップが存在した。ぼくは、彼らほど「好き」ではない。あるいは、「好き」の領域が、彼らと比較した場合に自分は極端に狭い。たとえば、プログラミング言語の領域には夢中になれても、サーバー運用の領域はそんなに楽しいと思えない、といったあれやこれや。

 もちろん、「好きでない」ことそのものが問題なのではない。ただ、同じやり方では上手くいかない、ということに気がついたのだ。別の言い方をすれば、ロールモデルの見直しを迫られた。

 

 先の和田さんの記事では、「自分の美意識を達成」することを目指すクリエイタータイプと、「顧客満足を求める」タイプの大きくふたつの傾向を挙げていた──以降では便宜上、前者を〈職人〉タイプ、後者を〈マーケッター〉タイプと呼びたいと思う。ぼくもこの区分にはひとまず共感する。けれども、この中間で揺れ動くようなタイプ、まさしくぼく自身のような──そしておそらく、世の大多数を占めるはずの──中途半端な位置にいる人間についてこそを考えたいのである。

 

 ぼくは「お金を稼ぐ」ということ、もっと広くいえば、「他者に喜ばれることは何か」という観点から思考をスタートさせることが苦手だ。もちろん、結果的に誰かに喜んでもらえたら嬉しい。けれども、それはあくまでも二次的なもので、スタート地点に選ぶという発想は希薄である。その意味で、マーケッタータイプからは距離があると昔から感じていた。ところが、もう一方では、和田さんのような職人タイプにもぼくは「なれない」*1。その現実からスタートするしかなくなったのだ。

 

〈中途半端〉を受け容れるということ

 ただ、この自己分析は現在に至る選択を重ねるうえで、とても役立った。「こだわりが強い」ということが武器にもなれば欠点にもなるように、「こだわりがない」ということもまた、武器にも欠点にもなりうる。自分にとってさほどこだわる必要のないものは、思い切って捨ててみる。そうすることで道が拓ける。そんな体験を、ここ数年のあいだに何度か味わうこともあった。なかでも一番大きかった決断のひとつが、「エンジニア職を捨ててみる」という選択ではなかろうか──その結果は今後どうなるか、まだ分からないが。

 

 ところでこのことはおそらく、たんにぼくが「個人的に考えてみました」以上の問題を含んでいる気もしている。近年、〈中途半端〉を肯定する思想が注目を集めていることも、時代の要請なのだろう。たとえば、批評家の東浩紀氏は、「村人」でも「旅人」でもなく、その中間的存在の「観光客」であれと言っている(『弱いつながり』)。むろんそれは、たんに現状に開き直ることとは違った態度である(それでは単純な欠点にしかならない)。

 

 「トラベルブック」というチームは、ひとりひとりを見ると、けっこうバランスが偏っているかもしれない(笑)。でも、チームとしては、かえってそれで上手く機能しているような気もする。油断はしないが、楽観的にいく。

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

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*1:誤解してほしくないが、こう言ったからといって、たとえば「和田さんは職人気質なぶん、お金を稼ぐセンスがない」というようなことを言いたいのではない。おそらく誰もが、〈職人〉的要素と〈マーケッター〉的要素を持ち合わせている。そのうえで、各要素の強度、そしてその持ち方の比率に差異があるだけだろう。