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共感のネットワークを構築するために――ビズ・ストーン『ツイッターで学んだいちばん大切なこと』

 SNSを身近なものとかんじるようになったのは、mixiが流行りはじめた10年ほど前だったように思う。その後、GREEmyspace、そしてFacebook、LINEといくつかの人気サービスが登場するわけだが、mixiによって広められたSNSのイメージは大きく変化していない。10年前、ぼくはすでに個人のブログや日記サービスを細々と運営しており、ライフログや自己表現的なものに関心をもっていた。けれども、それらいずれのサービスも好きになれなかった。

 

 そんなぼくが、2009年に最初のアカウントを作って以来、ずっと大好きな唯一のSNS――それがTwtter(ツイッター)だ。

 

ツイッターの特異性 

 ツイッターの魅力について言及されるとき、その特徴はつながりの「ゆるさ」だと言われる。ツイッターでは片思いの「フォロー」を前提としてつながりが形成されていく。自分が読みたい発言をする相手と、自分の発言を読んでもらいたい相手というのは、往々にして重ならないものだ。たとえば、友人や同僚にとっては興味のないであろうテーマ、こうした話題に言及することをおおくのSNSは抑圧する。ツイッターでは140文字の制限も相まって、そのあたりの本音や面倒な話題等への気楽な言及を可能にした。

 

 また、ある話題にかんする一連の言及が「最大140文字=1ツイート」という単位で細切れになっている関係上*1、コンテクスト(文脈)の切断を容易にしてしまう。元々の発言主の意図とは離れて、フォロワー(別の投稿者)自身のまったく無関係なコンテクストへの接続が頻発するのだ。ハイデガー研究者の芦田宏直氏(@jai_an)はツイッターを評して「気分のメディア」だと語ったが、気分の感染力が強いがゆえに、本音を漏らしやすく、また炎上もしやすいのだろう*2

 

 友人たちの近況そのものよりも、その人(むろん友人も含めて)がいま考えていること/これまで考えてきたことの方に興味があるぼくにとって、ツイッターだけが面白いと感じるいちばん大きな要素はそのあたりにあると考えている。

 

ノイズの受信と世界の拡張 

 共通の趣味や話題で盛り上がることをシンプルに考えるのであれば、特定のテーマに限定した場を設定すればよい、と考えることもできる。じっさい、mixiのコミュニティやFacebookのグループはちょうどこうした発想で用意された機能である。それはそれでよい。ただ、閉鎖的なコミュニティにおいてはよくも悪くも濃密な人間関係が形成されがちであり、すぐに「身内と他人」といった意識が生まれる。いうまでもなく「身内」とは「われわれと同じ人たち」であり、「他人」はその外部に属する存在である。

 

 さらに最近のSNSでは、関連情報や関連人物をかなり高精度にサジェストしてくれたりもする。その恩恵はけっして小さくない。けれども逆にいえば、関連の弱い〈別のなにか〉と出会う機会をどんどん失っている、ともいえるのではないか。

 批評家の東浩紀氏(@hazuma)は、ネットは世間一般に考えられているような、希薄なつながりを生み出す/しか生み出さない場所ではなく、むしろリアルの人間関係を強化する〈強いつながり〉の装置として機能していると指摘した(『弱いつながり』)。その彼が、数少ない例外的なネットサービスとして挙げるのがツイッターである。じっさい、ツイッター社はこの主張に応えるかのように、ユーザーと「ノイズ」との出会いを後押しする試みを行なうと正式に表明している。


Twitter、タイムラインへの“不純物”表示を正式機能に - ITmedia ニュース

 

 情報が氾濫したネット上では、いかに効率的にノイズを除去するか、その方法論にかんする議論が盛んに行なわれている。その方向性じたいは正しく、有益だろう。でも同時に、ノイズは自分の世界を広げる〈未知の〉可能性でもありうる。

 

情報建築の観点からみるWEBサービス

 ところで、ここまで取り上げてきた論点からもなんとなく感じてもらえると思うけれど、ツイッターを利用する個々のユーザーはこうした小難しいことをいちいち考えているわけでは当然ない。それでもツイッターを使っていると自然に、なんとなくFacebookとはちがった「気楽さ」を感じ、なんとなくコミュニティを横断して〈別のなにか〉と出会うのである。――興味深いのはまさにその点なのだ。

 

 建築学アーキテクチャ)の領域には、人間と建築物(環境)との相互作用に着目する考え方がある。建築物を設計するさいには、それを利用する人たちにとって快適な構造・空間造りを目指すわけだが、そこでは「利用者である人間→建築物」というかたちで一方的に建築物のあり方が規定されるわけではない。建築物や空間(環境)のあり方は、それを利用する人間の行動様式をもまた変えていく、「建築物→環境に適応する人間」というかたちで、逆方向の力学が同時的に生じるのである。 

 その考え方はそのままITの領域にも応用されて、情報アーキテクチャなどと呼ばれたりしている。WEBサービスもまた人間が役立てるためのツールとして生み出されるが、それはユーザーである人間が一方的に利用するツールであるに留まらない影響力をもちうる。ユーザーはそのツールが用意した環境を前提として、振る舞いを変え、適応していく。この適応の中身には、身体的な習慣にくわえて、心理的なもの(まさに「気分」だ)も含まれる。つまりツール=環境もまた人間のあり方を規定するのだ。

 

 ここから分かることは、ツールやサービスの設計や操作性のあり方というものが、そのツールの作り手の思想を雄弁に物語ってしまう、ということではないだろうか。別の言い方をすれば、作り手がどのように自分のサービスの狙いを練り、それを語ったとしても、じっさいのサービスのありようが作り手の意図を体現していないものであれば、本来伝えたかったメッセージをユーザーに受け取ってもらうことは難しいのだろう、ということだ。

 

ツイッターとその思想

ツイッターで学んだいちばん大切なこと――共同創業者の「つぶやき」

ツイッターで学んだいちばん大切なこと――共同創業者の「つぶやき」

 

 

 ツイッターの共同創業者のひとりビズ・ストーンは、エンジニアではないし、経営者でもなければ、財務的な問題を解決した人物でもなかった(お金にかんしていえば、むしろ彼は生活保護家庭で育ち、借金の返済に追われる半生だった)。しかし間違いなく、ツイッターという巨大サービス、あるいは会社を支える思想の中心にいる人物だった。『ツイッターで学んだいちばん大切なこと』は、そのことがよくわかる本である。

 

 「ツイッターの使命は利益よりも先に価値を生みだすことだ」とビズは語る*3。いうまでもなく利益もまたひとつの価値――資本主義的な価値――だが、あらゆる領域に市場的・合理的な思考が侵入する現代では、この言葉どおりのことを実践するのは容易ではない。お金以外の価値評価はあいまいだからだ。

 

 ビズ・ストーンはこうも言っている。「資本主義の定義を変えたいと僕は考えている」、と。彼によれば、これまでの企業は「財政的な成功」に最大の価値を置いてきた。それはある意味で当然ではある。でもこれからの企業活動は、「世界に前向きな影響を与えることと、自分の仕事を好きになること」を加えたものになっていくべきだと*4。彼にとってツイッターという場所は、まさにその実践の場であった*5。そこで鍵になるのは、「共感をはぐくむこと」である。ビズは「利他主義の複利」という言い方で、その意図を説明する。

 

たいていの人は、自分が与えられるゆとりができたら——つまり、裕福になったら——寄付しよう、と考える。経済的な成功の定義は人によって違うけれど、収入の程度にかかわらず、ほとんどの人はずっと「まだ裕福になったとはいえない」と思い続けるものだ。
与えられるようになるまで待つというのは間違いだ。早く、今すぐに始めれば、贈るものの価値は時間とともにどんどんふくらむ。これにはふたつの意味がある。まず、自分が多くを持たないうちから他者のことを考える習慣があれば、その思いは自分と一緒に成熟していく。財産が増えれば、与えようという思いも増してゆく。次に、おそらくこちらの方がより大事なことなのだが、善意の贈りものには波及効果がある、という点だ。  

 

 波及効果とは、善意を受けた人々がその行為に感謝あるいは共感し、次の善意が生まれること。さらにはその取り組みが広がり、回りまわって自分自身に返ってくることをいう。いわば善意の連鎖のようなものだ。

 

早いうちにわずかでも与える経験をすることが、その後の人生でどう人のためになることができるかの軌道を作る。これが、利他的行為のもたらす複利だ。早く始めれば、かけた労力の複利は大きくふくらむ*6。 

 

 善意とは本来、打算なしに行われるべきものである。ただそうは言っても、寄付文化になじみのないぼくたち日本人が、寄付にさいしてどこかで「奪われる」感覚を持ってしまうのは、ある程度仕方ないことかもしれない。――と、いう風に考えるとすこしラクになる。

 あるいはビズのいうように、「複利」というメタファー、投資の視点を取り入れることによって、取引思考に慣れたぼくたちの寄付に対する抵抗感をすこし和らげることができるかもしれない(むろんその見返りは金銭的なものであるとは限らないけれど)。いずれにしても、〈純粋な善意〉といったようなものを想定したり、〈偽善〉を警戒したりすることは、善意や親切を行使する心理的なハードルを無用に押し上げてしまう。

 

 善意の行ないはそれ自体で楽しく、気分のよいものだ。規模は関係がない。「善意の行ないは世界の目にとまるし、世界はそれに応えてくれる」*7。楽しいからする→するとよくなる→よくなるから楽しい、の好循環を生み出すこと。そしてそこでは共感が重要であること。ビズ・ストーンの意識はつねにそこに向けられている。

 もちろん寄付だけの話ではない。自社のサービスとそれを利用してくれる人たち、あるいはチームのメンバー間、もちろん家族や友人たち、それらの間に共感の連帯を築こうと試みること。相手の状況を思いやることの大切さはいろいろな場所で語られているが、自分の状況に共感してもらうための努力も同じくらい重要なことだろう。

 

 ツイッターというプロジェクトには明確な思想があり、WEBサービスとしてのツイッターはその思想を体現したものになっている。先に触れた「ノイズ」とは、これまでの自分がまだ持っていない共感のスイッチの種のようなものであり、それがひとりひとりの世界を拡張し、世の中に共感の連帯を広げていく、ということではないだろうか。――ぼくはその思想に共感し、コミットしていきたいと思う。

 

 

ポスト資本主義の世界?

 ところで、ビズが読んでいるかは知らないが、本書を読みながら、ジョージ・ソロス『グローバル資本主義の危機』をなんども連想した。世界が不完全であること、相互作用性、資本主義批判、慈善事業…。

次回はそちらの本についてなにか書いてみたい。  

2014/12/21追記

書きましたー。


競争社会の課題と希望――ジョージ・ソロス『グローバル資本主義の危機』 - 読めたら読んでね!

 

*1:たとえば、1400文字程度の言及を行うさいには、サービスの制約上、10ツイート程度以上に分割されることが余儀なくされるといった意味。

*2:名言系のbotが広く人気を集めるのも同じ理由によると思われる。

*3:ツイッターで学んだいちばん大切なこと』p.270

*4:同書p.240

*5:近年、こうした理念を掲げる企業経営者はすこしずつ増えているように思う。その意味ではビズの思想は目新しいものではないが、むしろそのことには希望を感じている。

*6:同書p.252

*7:同書p.265