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大澤聡×先崎彰容×東浩紀「日本思想」の再設定:前半部の要点まとめ #ゲンロン

「日本思想」の再設定 ──西郷隆盛と三木清から考える明治維新150年
「日本思想」の再設定 ──西郷隆盛と三木清から考える明治維新150年


3/13にニコ生で放送されたゲンロンカフェのイベントを視聴しました。明治維新以降の日本の状況について情報密度の高い議論が交わされ、めちゃくちゃ勉強になりました。前半部の議論だけですが、取ったメモをここにまとめておきます。

genron-cafe.jp

現在タイムシフト視聴期間は終了していますが、また再放送がされるかと。面白いので超おすすめです。

togetter.com

前半部の要点

先崎さんの基調講演
  • 福沢諭吉は「近代化」(西洋を頂点とする一元論的な進歩史観)を支持し、結果的に1945年へと繋がる下地を作った。それに対して、西郷隆盛は反近代的ともいえる(多元主義的でのちのアジア主義に繋がる)立場を、福沢と同じ明治初期にすでに表明していた。というのが、一般的な評価。そのうえで、「いや、両者の思想はそう単純ではない」と主張するのが先崎さんの本。
  • 明治時代というのは、情報が急激に拡散するようになる最初の時代。西郷が死ぬことになる西南戦争は、「東京の大久保利通=西洋かぶれだ」というバイアスによって、怒り爆発した部下たちを抑えられず引き起こされたもの。いわば西郷は、福沢が重要視した情報通信を使いこなせず敗北した。
  • 福沢は『文明論之概略』のなかで、「近代化(西洋文明化)と文明化は違う。文明化を目指すべきだ」と明確に言っている。福沢は近代化の支持者ではない。近代化とは精神的な余裕を失って、すぐ人にキレる社会になっていくこと。現代の禁煙ファシズムにまで繋がっているかもしれない。
  • 他方、西郷は単純な復古主義者でもなければ、反近代主義者でもない。後世には、左寄りの中江兆民、石川啄木、右寄りの頭山満、江藤淳、クリスチャンの内村鑑三とさまざまな政治的立場の人が西郷を絶賛した。とすると、西郷隆盛とは何者なのか?という観点で読み解いたのが『未完の西郷隆盛』。
  • 福沢諭吉は『文明論之概略』で、「自分たちの世代は特別なんだ」と言っている。西洋化が来る前と後を両方知っている世代というのはこの後には居なくなり、そして当然後世の日本人は忘れていく。だからこの本を書いたのだ、と。
  • 福沢や西郷の世代の引き裂かれ感はリアル。かつて指導側だった人間が部下たちに地位を奪われ、立場が完全に逆転した。精神の安定が壊れ、そこからクリスチャンへと入信する者も出てくる。これまで信じてきた秩序がぶっ壊される、近代化以降の第一のすごい時代だった。
大澤さんの基調講演
  • 大正期は、「文明」が「文化」という言葉に切り変わり、一気にスケールダウンした時代。明治初期に盛り上がった立身出世主義が後期には停滞し、環境に適応して成功に突き進むエリート/文学や哲学に引きこもるやつ/絶望して自殺するやつと、概ね3パターンの若者が出現した
  • そこから修養主義(人格主義・道徳主義)へと進む人間が増え、明治末期にはエリートの教養主義と大衆の修養主義へと分断が進んでいく。大正時代には前者を岩波書店、後者のエンタメを講談社が体現した。大衆はファシスト的公共圏を形成。エリートを馬鹿にし、それが第二次大戦のファシズムを支えた。
  • 昭和期になると大衆消費社会の時代がやってくる。「教養主義は古臭い。時代はカントでなくマルクスっしょ」と、労働者の革命云々という以上に、教養主義のアップグレード版としてマルクス主義は受容され、文献主義的な知的勝負になっていく。(その分当時日本のマルクス主義解釈は世界観最先端だった)
  • 昭和10年代には昭和教養主義が出てくる。代表者として、河合栄治郎は人格主義のリバイバル、三木清は実践を伴わない大正教養主義批判を始める。三木は「文化じゃだめだ」として文明の再興を目指したひとり。このあたりまでが昭和リベラル的なものが残っていたギリギリ最後の世代。
  • 日本の教養主義は独特で、フリッツ・リンガーがその二重性を指摘している。すなわち、差別等の不寛容に対してはリベラルでありながら、大衆蔑視の目線を持っている、と。モダニズムはそもそも大衆蔑視だが、日本では修養主義や農村的エートスが出自なので、その差別性を緩和する、ということでは。
  • 1923年の震災を契機に明治回顧ブームが起きる。火災による書物の消失への危機感から、全集の刊行が活発に。アーカイブによる日本思想史の可視化が(結果的に)実現された。
  • 明治回顧ブームのなかには、1933~37年かけて起きた日本資本主義論争というのがある。明治維新がブルジョア革命であったかどうか?が争点。封建制は壊され近代化はすでに果たされたとする立場(労農派)と道半ばだとする立場(講座派)。
  • 1930年代後半の日中戦争期、中国という外部=他者を発見。垂直的な上からの支配でなく、水平的な連帯がいかにすれば可能かをエリートたちがギリギリ模索していた=「東亜共同体論」。しかし、1940年代に入るとその可能性は潰え、全面的に「大東亜共栄圏」論へと移行していく。
  • 1930年代の日本において、思想的にはファシズムとコミュニズムが対立し、そのあいだに立つリベラリズムはヘタレとして批判の的に。政治的にはナショナリズムとグローバリズムをともに否定し、リージョナリズム(地域主義)が叫ばれる。地域の輪郭を巡り左右で対立。
  • 「明治国家の二重構造」(竹内好)は、西洋とアジアを同時に睨まないといけない日本の地政学的な条件に規定されている。
前半部のまとめ議論
  • 以上の状況を振り返るだけでも、2018年現在に起きていることは、実は過去すでに起きていることと非常に似ている。教養主義と修養主義の対立は、戦後のハイカルチャーとサブカルチャーの対立とも並行関係にある。純文学と大衆文学の対立において、後者は言文一致が排除したものの回帰ではないか。
  • 近代以降の日本において、公からの撤退には2パターンが出てくる。ひとつは江戸への回帰、もうひとつは西洋型の私小説(純文学)へ進むパターン。政治とヨーロッパの両者から排除される前者は、文脈無関係に事実を繋げ物語を紡ぎ出す。たぶんネトウヨにアニメアイコンが多いことの根源がこの辺にある。
  • 日本の問題点は同じ構造を反復してるのに、それに気づかずに前に進められないこと。そう提言しても、「ニッポンのジレンマ」とかでは歴史とかいいから地頭使ってゼロベースで考えよう、となりがち。経営者とそこで分かり合うのは難しい、反復によって富を蓄積する人たちだから。
  • 地頭で考える人は新興宗教にとびつきがち。教養の軽視は自己に対する根拠のない信仰に繋がるが、不意に自己への不安が生じると心の拠り所を求めてしまう。
  • いまの時代はまじめな時代。これは危ない。ぼくたちがまじめに考えても政治を変えられないんじゃないか、というためらいを持ちながら語るのが批評であり言葉の役割。ハイデガーは「哲学の役割は世界のジョイントを回復することだ」と考えたが、デリダは「ジョイントを外すことが重要だ」と考えた。

関連書籍

未完の西郷隆盛: 日本人はなぜ論じ続けるのか (新潮選書)

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文明論之概略 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

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