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千葉雅也 × 東浩紀「モノに魂は宿るか──実在論の最前線」:前半部の要点まとめ #ゲンロン

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3月末に「ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #5」として放送されたイベント。前後半合わせて3時間を超える対談を、後日タイムシフトで視聴しました。

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とくに後半の議論が面白かったのですが、前半部の千葉さんによるプレゼンは思弁的実在論の状況について分かりやすく整理されており、非常に勉強になりました。今回もメモを取りながら観ていたら大量になってしまったので、前半部のメモをこちらにまとめておきます。

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前半部の要点

ガブリエル『なぜ世界は存在しているか』について

  • 結論:マルクス・ガブリエルの話題の書『なぜ世界は存在しているか』は全く面白くない。
  • 多様性を肯定する、かつてのポストモダンに近いが、その実在論化に踏み込んでいる。
  • 一角獣やアニメのキャラのような虚構的存在を含め、すべてのものに、自然科学的なものと同じ「存在する」という身分を与えようという議論。
  • ドイツのガダマーの解釈学やフランスなら構造主義を例にあげるまでもなく、「人文科学のなかで理念や虚構的存在をどう扱うか」ということと、「人文科学をいかに発展させるか」という方法論とは常にセット。ところが、ガブリエルはあまりに素朴に「存在認めちゃえばいいじゃん」と言ってしまっている。自然科学批判の文脈にあるのは分かるのだが・・・。
  • カジミール・マレーヴィチ「黒の正方形」を見て、コンテクスト抜きに正方形そのものを捉えるのだ、といった議論が出て来るが、芸術理解としても100年遅れている印象。メイヤスーやハーマンはもうすこしアクロバティックで面白い。
  • 「一角獣について考える人文系に価値があると考えるあなたも、素粒子について考える科学者も同じ存在について考えているから大丈夫」みたいな人文学の自慰的な話。ある存在者(とりわけ人文学的な存在者)について考える人の権利を擁護する話になっちゃてる。
  • 「これ以上私の傷に立ち入らせない」権利主張。「なぜならばそれは私の意味の場に存在しているから」。この本が支持されたことは、ポリコレに象徴される時代の空気と共振している。

実在論ブーム」とはなにか?

  • いわゆる「実在論」ブームは、「現代思想」の最先端の状況。フランスの「ポスト構造主義」(ドゥルーズデリダ等)に影響を受けているものを指す。このブームは英語圏での分析哲学の動きではない。
  • 代表的論者はメイヤスー、ハーマン、ガブリエル。
  • 思弁的実在論(SR)がその中心。「非人間」=人間とは関係なく、人間的な「意味の理解」の外側に独立に「実在」しているものそのもの、がテーマ。
  • ただし、SRはロンドン発で、ガブリエルはそれと直接関係はない。
  • 実在論」とは、事物がそれ自体として存在すると認め、事物を客観的に記述できるとする立場。
  • 人間は事物を「ある捉え方で」捉えており、その「捉え方なし」で事物「それ自体 in itself」を知ることは出来ない。という立場がカント以来、近現代哲学のデフォルト。
  • 人間にプリセットされた物事の捉え方=超越論的な構造。ポストモダニズムはカントからの論理的帰結。
  • 「新しい実在論」とは、私たちの認識とは独立して実在について哲学的に議論できるはずだ、とする立場。

「新しい実在論」とポストモダン思想の関係

  • ドゥルーズデリダらのポスト構造主義の哲学者は「差異」を論じ、人々はそこから事物を一面的にではなく、「多様に理解しよう」というメッセージを(本人の意図とは関係なく)受け取った。
  • が、それは捉え方次第で「どうにでも言える」という「相対主義」ではないかと批判が生じる。現代の実在論では、相対主義批判の乗り越えが課題。
  • ナチのトラウマから、ドイツは革命的なものを否定してしまっている。ニーチェと全く逆のことを主張しながら、ドイツ国内ではニーチェの再来のように学会で受け入れられている。カルスタ、ポスコロ、ポリコレ受け入れのための哲学的基礎づけの本。哲学的後退。
  • メイヤスーの「相関主義」批判。私たち=人間がどういう捉え方をしようとも、そこから独立に実在する世界があると言いたい。「私たちにとって世界がどうであるか」、という思考のフレームワークばかりの研究をする立場=「相関主義」と名付ける。「無人の世界」としての実在に「アクセス」しようとする試み。

「思弁的実在論」の成立

  • 2007年にロンドンで始まった「思弁的実在論」ワークショップ。
  • レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマン、カンタンメイヤスーの4人がオリジナルメンバー。
  • ブラシエが名付け親。思弁的実在論は当初ネット・カルチャーとして流通。

哲学研究の分裂(現状の派閥)

  • パリからロンドンへ。パリっぽい野心的な哲学者では、ロンドン経由で世界に拡散したメイヤスーのみが別格。それ以外のSR関係者はロンドンか辺境。3のメインストリームからもさらにドロップアウトしていることが重要。哲学の制度化にうんざりした人たち。でもまたすぐに制度化されていく風潮。
  • 「人文科学においても科学の方法論でやろう」という単純な発想になってしまっている傾向。実在論ブームとはいいつつも、サルトルフーコーの社会的インパクトと比べると随分スケールダウンしていることは否めない。
  • 余談:インド出身で英語圏で活躍している人は階級が高い。スピヴァクはプリンセスの家系でファーストクラスでしか呼べない。笑

「思弁的実在論」の代表論者について

カンタン・メイヤスー
  • 主著:『有限性の後で』
  • ある種の唯物論を主張。真の実在は数理的に記述されるもので、それは人間的な(数的ではなく質的な)意味付けの外部にあるとされる。
グレアム・ハーマン
  • オブジェクト指向哲学の代表者。主著は『四方対象』
  • あらゆる事物を「オブジェクト」と呼ぶ。
  • オブジェクトは根本的には他から絶対的に分離しており、「自らに引きこもって」いるとされる。絶対的無関係。ハイデガー的にいうと「タイ イン」。
  • オブジェクトがバラバラに存在するレベルが「実在的」であり、他と関係づけられているレベルは「感性的」である、という二重構造(の入れ子構造化)で世界を説明
  • 「新しい実在論」論者は傾向として、「そんな素朴なこと言うか?」と思えるようなことをガチで論証する人たち。ただハーマンは「なぜ世界はバラバラなのか?」ということに何の論証も与えておらず、そこはメイヤスーと異なる点。
マルクス・ガブリエル
  • 日常的な事物や文学的作品のキャラクターにも量子物理学と同等の実在の地位を与えるべきだという立場。ある事物の実在を支える「意味の場」というのは無限に多様なので、それを包括するような「世界」は存在しない、という議論。
  • 『なぜ世界は存在しないのか?』というタイトルでは「世界」の意味を変えてしまっている。よくない。
  • 根源的な「非人間的な意味」の存在を論証する議論になれば面白いが、その場合にも「意味」の意味が変わっていることにはなる。
  • ポストモダンでは「もののあり方というのは捉え方だ。だから真の実在にはアクセスできない」。
  • ガブリエルは「もののあり方というのは捉え方だ。だから捉え方によってすべて実在する」と突き抜けた。
  • でもそれって「俺にとっては二次元の嫁は存在する」みたいな話。マイノリティやポリコレ擁護に使えてしまうのがこの本。

「加速主義」

  • テモなどの左翼運動を「フォーク・ポリティクス」と呼んで批判。抵抗のポーズを示すだけではダメ。技術発達を徹底的に加速させること。少なくともそれを理念とすべきとする立場。
  • 一時期の浅田彰未来派野郎。ポストモダニズムの反復。
  • 理念にはもちろん共感するが、非常に抽象的なスローガンに終始してしまっている。そんなこと言われても具体的にどうすればいいか分からない。デモは分かりやすいから参加できる。
  • 80年代の反復に気づかずに、ガブリエルの議論を初めて聞くように捉える若者も多いのではと懸念する。

東浩紀の「否定神学」批判との類似性

  • 否定神学システム批判=メイヤスーの相関主義批判
  • 世界と思考の相関。その外部にアクセス不可能なものがあり、それについて議論の空中戦を繰り広げるのが東浩紀が指摘した「否定神学システム」。『存在論的、郵便的』で展開された批判というのは、カント以来の近現代哲学のシステム総体にたいして向けられたもので、そのオルタナティブとして「郵便的」(アクセス不可能なものではないような外部性)なものを提示しようとした試みだといえる。
  • 東さん自身、いまにして思えば、「ドイツ観念論否定神学の構造を持っているよね」という話だったと。神秘思想、ロマン主義の残滓。フランスの話してるんじゃない。でも当時の能力ではそこまで持っていけなかった。
  • いずれにせよ、ヨーロッパに関してここ最近になって登場した議論が、日本には90年代すでにあったということ。
  • 「新しい実在論」には、人文学の自己否定になりうるモメントがある。人文学は他者というものをいかに解釈によって多様にみていくかという営みだった。だが今の実在論は、解釈を超えた実在というのが厳然としてある、という話。
  • デリダエクリチュール論はそのことに自覚的な仕事だった。J.サールとの論争、『有限責任会社』。疲れたら議論を辞める、ということでしか実在はない。ままならない外部性、有限性の問題。
  • ところがデリダのように物質性について考えようとした人が、不可能なものに取り込まれてしまうパターンが哲学では何度も繰り返されている。
  • 哲学が取りこぼす物質性について考えようとしたのが『存在論的、郵便的』。その意味で東浩紀の仕事はマルクス主義的。
  • 「動物」「アーキテクチャ」「観光客」という概念も、社会学とはまったく違う抽象度のレイヤーで考えようとしているが、その点がなかなか理解されない。

「人新世(アントロポセン)」の動向

  • マルクス主義における下部構造はつねに経済的なものだった。さらにその下部構造として、気候や地質、災害、疫病みたいなものが出てきている。唯物論的条件の再発見。
  • ところが、ガブリエルの本は「新しい実在論」や「人新世」のような理工系やSF的な話とは関係がない。非常に文系的な本。

関連書籍

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有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

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有限責任会社 (叢書・ウニベルシタス)

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存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

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大澤聡 × 先崎彰容 × 東浩紀「日本思想」の再設定:前半部の要点まとめ #ゲンロン

「日本思想」の再設定 ──西郷隆盛と三木清から考える明治維新150年
「日本思想」の再設定 ──西郷隆盛三木清から考える明治維新150年


3/13にニコ生で放送されたゲンロンカフェのイベントを視聴しました。明治維新以降の日本の状況について情報密度の高い議論が交わされ、めちゃくちゃ勉強になりました。前半部の議論だけですが、取ったメモをここにまとめておきます。

genron-cafe.jp

現在タイムシフト視聴期間は終了していますが、また再放送がされるかと。面白いので超おすすめです。

togetter.com

前半部の要点

先崎さんの基調講演
  • 福沢諭吉は「近代化」(西洋を頂点とする一元論的な進歩史観)を支持し、結果的に1945年へと繋がる下地を作った。それに対して、西郷隆盛は反近代的ともいえる(多元主義的でのちのアジア主義に繋がる)立場を、福沢と同じ明治初期にすでに表明していた。というのが、一般的な評価。そのうえで、「いや、両者の思想はそう単純ではない」と主張するのが先崎さんの本。
  • 明治時代というのは、情報が急激に拡散するようになる最初の時代。西郷が死ぬことになる西南戦争は、「東京の大久保利通=西洋かぶれだ」というバイアスによって、怒り爆発した部下たちを抑えられず引き起こされたもの。いわば西郷は、福沢が重要視した情報通信を使いこなせず敗北した。
  • 福沢は『文明論之概略』のなかで、「近代化(西洋文明化)と文明化は違う。文明化を目指すべきだ」と明確に言っている。福沢は近代化の支持者ではない。近代化とは精神的な余裕を失って、すぐ人にキレる社会になっていくこと。現代の禁煙ファシズムにまで繋がっているかもしれない。
  • 福沢諭吉は『文明論之概略』で、「自分たちの世代は特別なんだ」と言っている。西洋化が来る前と後を両方知っている世代というのはこの後には居なくなり、そして当然後世の日本人は忘れていく。だからこの本を書いたのだ、と。
  • 福沢や西郷の世代の引き裂かれ感はリアル。かつて指導側だった人間が部下たちに地位を奪われ、立場が完全に逆転した。精神の安定が壊れ、そこからクリスチャンへと入信する者も出てくる。これまで信じてきた秩序がぶっ壊される、近代化以降の第一のすごい時代だった。
大澤さんの基調講演
  • 大正期は、「文明」が「文化」という言葉に切り変わり、一気にスケールダウンした時代。明治初期に盛り上がった立身出世主義が後期には停滞し、環境に適応して成功に突き進むエリート/文学や哲学に引きこもるやつ/絶望して自殺するやつと、概ね3パターンの若者が出現した
  • そこから修養主義(人格主義・道徳主義)へと進む人間が増え、明治末期にはエリートの教養主義と大衆の修養主義へと分断が進んでいく。大正時代には前者を岩波書店、後者のエンタメを講談社が体現した。大衆はファシスト的公共圏を形成。エリートを馬鹿にし、それが第二次大戦のファシズムを支えた。
  • 昭和期になると大衆消費社会の時代がやってくる。「教養主義は古臭い。時代はカントでなくマルクスっしょ」と、労働者の革命云々という以上に、教養主義のアップグレード版としてマルクス主義は受容され、文献主義的な知的勝負になっていく。(その分当時日本のマルクス主義解釈は世界観最先端だった)
  • 昭和10年代には昭和教養主義が出てくる。代表者として、河合栄治郎は人格主義のリバイバル三木清は実践を伴わない大正教養主義批判を始める。三木は「文化じゃだめだ」として文明の再興を目指したひとり。このあたりまでが昭和リベラル的なものが残っていたギリギリ最後の世代。
  • 日本の教養主義は独特で、フリッツ・リンガーがその二重性を指摘している。すなわち、差別等の不寛容に対してはリベラルでありながら、大衆蔑視の目線を持っている、と。モダニズムはそもそも大衆蔑視だが、日本では修養主義や農村的エートスが出自なので、その差別性を緩和する、ということでは。
  • 1923年の震災を契機に明治回顧ブームが起きる。火災による書物の消失への危機感から、全集の刊行が活発に。アーカイブによる日本思想史の可視化が(結果的に)実現された。
  • 明治回顧ブームのなかには、1933~37年かけて起きた日本資本主義論争というのがある。明治維新ブルジョア革命であったかどうか?が争点。封建制は壊され近代化はすでに果たされたとする立場(労農派)と道半ばだとする立場(講座派)。
  • 1930年代後半の日中戦争期、中国という外部=他者を発見。垂直的な上からの支配でなく、水平的な連帯がいかにすれば可能かをエリートたちがギリギリ模索していた=「東亜共同体論」。しかし、1940年代に入るとその可能性は潰え、全面的に「大東亜共栄圏」論へと移行していく。
  • 「明治国家の二重構造」(竹内好)は、西洋とアジアを同時に睨まないといけない日本の地政学的な条件に規定されている。
前半部のまとめ議論
  • 以上の状況を振り返るだけでも、2018年現在に起きていることは、実は過去すでに起きていることと非常に似ている。教養主義と修養主義の対立は、戦後のハイカルチャーサブカルチャーの対立とも並行関係にある。純文学と大衆文学の対立において、後者は言文一致が排除したものの回帰ではないか。
  • 近代以降の日本において、公からの撤退には2パターンが出てくる。ひとつは江戸への回帰、もうひとつは西洋型の私小説(純文学)へ進むパターン。政治とヨーロッパの両者から排除される前者は、文脈無関係に事実を繋げ物語を紡ぎ出す。たぶんネトウヨアニメアイコンが多いことの根源がこの辺にある。
  • 日本の問題点は同じ構造を反復してるのに、それに気づかずに前に進められないこと。そう提言しても、「ニッポンのジレンマ」とかでは歴史とかいいから地頭使ってゼロベースで考えよう、となりがち。経営者とそこで分かり合うのは難しい、反復によって富を蓄積する人たちだから。
  • 地頭で考える人は新興宗教にとびつきがち。教養の軽視は自己に対する根拠のない信仰に繋がるが、不意に自己への不安が生じると心の拠り所を求めてしまう。
  • いまの時代はまじめな時代。これは危ない。ぼくたちがまじめに考えても政治を変えられないんじゃないか、というためらいを持ちながら語るのが批評であり言葉の役割。ハイデガーは「哲学の役割は世界のジョイントを回復することだ」と考えたが、デリダは「ジョイントを外すことが重要だ」と考えた。

関連書籍

未完の西郷隆盛: 日本人はなぜ論じ続けるのか (新潮選書)

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三木清教養論集 (講談社文芸文庫)

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マロ。さん作「kindle highlight to WorkFlowy」でlocation要素を子階層化

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Tak.さんの『アウトライン・プロセッシング入門』を読んだこともあり、WorkFlowyを本格的に使い始めました。まだまだ使いこなすというレベルには程遠いですが、すでに便利さを体感しているので、Pro版に移行し活用を進めています。

kindleのハイライトをWorkFlowyにインポート

kindleで読書をしつつ付けたハイライトを記録しておくとき、これまでテキストエディターで余計な箇所を一括置換で削除する作業をしこしこやっていたのですが、これもWorkFlowyに取り込んでいきたい。検索すると、この作業を簡略化するブックマークレットをマロ。さんが公開してくれていました。

note.mu

kindleサイトのハイライトページで、出力したい書籍のページを開き(本のタイトルリンク→「You have 00 highlighted passages」と進めばOK)、ブックマークレットを実行。別タブで表示されたOPML形式をそのままWorkFlowyにコピペするとさくっと以下の状態になります。(「bqを親トピックにしないバージョン」を利用しました)

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改造版ブックマークレット

これだけでも非常に便利なのですが、個人的に欲を言えば、以下のようなスタイルにしたい。

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これを実現するために、マロ。さんのブックマークレットを少し編集させていただいたのが以下のコードです。(コピペしてお使いください)

javascript:(function()%7Bvar txt='<?xml version="1.0"?>%5Cn<opml version="2.0">%5Cn  <head>%5Cn  </head>%5Cn  <body>';var a=$('%23allHighlightedBooks').children();for(i=0;i<a.length;i++)%7Bif(i==0)%7Btxt+='    <outline text="'+a.eq(i).children('.title').text().replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;')+a.eq(i).children('.author').text().replace(/%5Cr?%5Cn/g,'').replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;')+'" >%5Cn';%7Delse if(a.eq(i).hasClass('yourHighlightsHeader'))%7Bbreak;%7Delse%7Btxt+='      <outline text="' +a.eq(i).children('.highlight').eq(0).text().replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;')+'" >%5Cn';txt+='        <outline text="' +a.eq(i).children('a').text().replace(/Read more at /g,'').replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;');if(a.eq(i).children('p').children('.noteContent').text()!='')%7Btxt+='" _note="'+a.eq(i).children('p').children('.noteContent').text().replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;')+'" />%5Cn';%7Delse%7Btxt+='" />%5Cn';%7Dtxt+='        <outline text="' +a.eq(i).children('a').attr('href').replace(/&/g, '&amp;').replace(/>/g, '&gt;').replace(/</g, '&lt;').replace(/"/g, '&quot;').replace(/%5Cn/g, '&%2310;')+'" /></outline>%5Cn';%7D%7D;txt+='    </outline>%5Cn  </body>%5Cn</opml>';var w = window.open();w.document.open();w.document.write('<!DOCTYPE html><html lang="ja"><head><title>kindle highlight</title><style type=%5C"text/css%5C">textarea%7Bwidth:100%25;height:500px;%7D</style></head><body></body></html>');w.document.body.innerHTML = "<textarea>"+txt.replace(/&/g, '&amp;')+"</textarea>";w.document.close();%7D)();


このスタイルだと何が嬉しいかというと、ロケーションとkindleへのリンクの階層を非表示にして、引用テキストのみをリスト化できること。下記画像では章立てを手動で入力(自動化出来ないよね…?)していますが、各章をさらに章見出しの子要素へ移動すればさらに便利そうです。

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子の階層以下を閉じるには、以下の彩郎さんの記事にあるとおり、Zoomしたタイトルをダブルクリックすれば要素を開閉できます。

WorkFlowyのトピック折りたたみ機能の基本 - 単純作業に心を込めて

追記:7/23夜

ブログを公開したところ、マロ。さんご本人からリプライをいただき、8月にkindleサイトのリニューアルで上記ブックマークレットが使えなくことを教えていただきました。

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たしかに!苦笑
こんなデカデカと告知されてたけど、全く見落としていたという。。


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新ハイライトページはこんな感じ。


こちらの新ページに対応したブックマークレットを先ほどマロ。さんの方で作成されたそうなのですが、なんと私の要望も取り込む形で対応してくださっています。新ハイライトページ用のブックマークレットは以下の記事より入手が可能です。

note.mu

よかったらカンパしてね!

マロ。さん、便利なツールを公開&要望にご対応くださりありがとうございます!
私の改造版ブックマークレットも含めて、もし気に入っていただけたら、以下のnoteから彼にカンパも出来ますので、ぜひ。

マロ。 | note

おまけ

生涯投資家

生涯投資家

今回読んでいた本。村上ファンド事件の真相と、コーポレート・ガバナンスの必要性を訴え続ける彼の真意・信念を理解できました。おすすめです。

bookmeter.com

ゴミ収集車に群がる私たち――異文化接触@台湾出張 その2

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 台湾に来て3週間が過ぎました。支社立ち上げの方は、煩雑な手続きにぐったりさせられつつも、おおむね順調に進んでいます。 現地の言葉もまだまだロクに話せず、街に出ればいまだ新鮮な驚きに満ちていて刺激の多い毎日ですが、このくらいの滞在期間ともなると観光モードはひと休み。ふつうの「生活」が始まっています。

 

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 “1斤売り”というシステムの存在は知っていても、実際に立ち寄った果物屋で量り売りのルールが分からず、予想外にたくさん買ってしまうという月並みな失敗をやらかしたり、スーパーでネギやパクチーを買って来ては満足し、台湾製のインスタント麺とともに簡単な調理をしてみたり。と、どこからどう見ても日常生活という雰囲気。

 

 さて、生活(というか家事)において重要な位置を占めるのがゴミ出しですよね。とくに生ゴミ。日本でも夏場の生ゴミの処分には気を遣うわけですが、台湾は年中夏みたいなもんです。滞在1週間目で3匹のゴキブリを殲滅し、ムシ耐性も心なしか上がっていないでもない今日この頃ですが、出来ればお目にかかりたくないのがほんとの気持ち。そこで私は「ゴミ出しそびれない」ことを深く心に誓いました。 

 

台湾のゴミ出しイベント

 日本人にとってゴミ出しといえば、毎週決まった曜日、決められた場所に可燃・不燃・資源などと分別したゴミを出し、朝〜昼にかけてゴミ収集車がそれを回収するというのが一般的。

 一方、台湾でも可燃・生ゴミ・資源(不燃ゴミや粗大ゴミはまだ捨てたことがないので知らない)と分別はありますが、印象としてはけっこう大雑把。でもいちばん日本と違うのが収集の仕方でしょう。私たちがよく知っているようなゴミ収集場に置いていくやり方はしません。たしかにこんな暑い中に放置したらいかにもやばそうだし。

 

 ではどうするのかというと、台湾では毎日決まった時間に街のなかを巡回しているゴミ収集車に向かって、ゴミ袋を握りしめた人たちの方が近づいていき、順番にゴミを車へ投げ入れる。というやり方を採ります。

  

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 こんなかんじでポイッと。徐行してるとはいえ、走行中の収集車にゴミを投げ入れるのは地味に難易度高し。生ゴミはおじさんの横に置いてある樽へ捨てる(さすがに止まってくれます)。

 

 最初聞いたときには「マジかよ。色々むずかしくね?」と思ったのですが、収集車は「乙女の祈り」(テクラ・バダジェフスカ作曲)のオルゴールを大音量で鳴らして近づいて来るので、うっかり忘れるということはありません。むしろ、たとえ仕事の途中であっても、ゴミ出しに作業の中断を迫られるほど。

 

www.youtube.com

 

 部屋のなかにいて、「あ、遠くから“ゴミの曲”が聞こえてきたな」と気づいたところで、さっとゴミをまとめて外に出る。このくらいのテンポで大丈夫なのだと、最近やっとコツも分かってきました。

 出し忘れまいと気負うあまり、「この界隈には18時頃にやってくるから」と聞いて18時すこし前に外へ出て待ち構え…なんてことをやっている人は、現地の生活に不慣れな私たち以外にはひとりもいません。巡回はそこそこ時間どおりですが、そこはあくまでそこそこ。“5分前行動”的なのはそれこそ時間の無駄です。

 

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 こちらは路地裏にて。わらわらと集まりゴミを捨てる人々の図。最近では現地のお父さんに「慌てず歩いて捨てられて、すっかり地元民だ」と褒められ、気を良くしている毎日です。

 

 いよいよ暑さも本格化の気配。熱中症気をつけます。

ドラえもんと哲学書――異文化接触@台湾出張 その1

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 トラベルブック台湾支社の立ち上げ準備で現地まで出張に来ています。台湾はいま梅雨シーズン真っ盛りで高温多湿の蒸し暑い毎日。晴れ間がのぞけば猛烈な日差しが容赦なく肌を焼く、なかなかタフな気候条件です。それでも食べ物はおいしいし、暑さに文句を垂れながら街を歩けば、不思議と元気な気持ちが湧いてきます。

 

 台湾には過去何度か旅行で来ていますが、3〜4週間の長期滞在は初めてのこと。言葉が通じなくても意外となんとかなってしまう台湾(とくに台北界隈)ではありますが、今回ばかりは多少なり中国語を身に着けたいと思い、すこしずつですが勉強を始めました。

 

travelbook.com.tw

 

 今月始めにオープンしたトラベルブック台湾版サイト「TravelBook 旅人網」は、台湾人や中国人のスタッフが中心となって運営してくれています。また社長の長田さんは上海の復旦大学の卒業生で、中国語はペラペラ。

 という風に、トラベルブック社内には中華圏の言語や文化に強い人たちが集まっていて、語学学習についても色々とアドバイスをもらえるわけですが、そんな社長に勧められた「教材」が中国語版のマンガ『ドラえもん』。日本人に馴染みのあるストーリーで基本的な話の筋は決まっており、セリフの量も多すぎず少なすぎず。それでいて飽きずに読める。というのがおすすめのポイントだとか。

 

 私は素直にも近所のコンビニ数軒を回ってみました。しかし残念ながら『ドラえもん』には出会えません。そこで台湾で有名な大型本屋「誠品書店」へ行ってみることに。すると無事、一巻だけあった『哆啦A夢』をゲットすることができました。あと、ついでのつもりで立ち寄った哲学書の棚で一冊の本に惹かれてしまい、思わずこちらも購入(トップの写真左)。もちろん全部中国語。“読めない本”を買ってしまうというのは、なんとも不思議な体験です。

 

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 もうね。この目次を見てテンション上がっちゃったわけです。「尼采」とか書かれても、中国語が分からない身には「?」なのですが、「超越善悪」「道徳系譜學」を唱えた人物らしい。ああ、ニーチェかなと。

 「純粋理性批判」の「康徳」と来れば疑いなくカントだし、「亞里斯多德」なんかはこうなると名前だけでも分かりやすい(そう、アリストテレスですね)。このあたりで、どうやらこの本は著名な哲学者を紹介した入門書らしいことも分かってきます。400ページ近い本で400元(現在1台湾元=3.3円なので約1300円)という定価の安さも魅力でした。いつかの自分はきっと読めるさ、という気概。

 

台湾にはない「再販制度

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 しかも、です。聡明な読者はお気づきかもしれませんが、この本の帯には「79折」というシールが貼ってありました。中華圏では「8折」などと書いて、「定価の8割で販売=2割引」という割引価格を表わすのですが、その発想でいくとこの本は「21%引き」で買えそうだぞ、と気づくわけですね。

結構な割引率で嬉しい! けど、なぜに?

 

motto-taiwan.com

 

 そこで調べてみると、上記ブログにその理由が解説されていました。

 

台湾の一般書の定価は、250〜350元あたりが多いです。 日本と大きく違うのは、新刊発売後の1か月は「79折」(21%オフ)になること。 発売直前から発売後約1か月は宣伝・販売の集中時期にあたり、実際の店舗とネット書店はほぼ同じ割引率で買うことができます。

 

本好きな人や好きな作家の作品を常にアンテナを立てている読者は、気になる新刊があれば、本屋で買う人が多いようです。 既刊本の多くは割引無しか10%オフくらいしかありません。 既刊と新刊が同じように店頭に平積みされるわけですから、新刊が圧倒的に買い得感を与える、ということになります。

 

 この本の発行時期を確認すると、まさに今月発売になったばかり。新刊を割引して売っているとは驚きです。また先の記事によれば、台湾では書店ごとに本の価格がちがうことは普通で、とくに大学近くのお店では学生・教員向けに3割引で販売、とかいうことも珍しくないのだとか。大学生協を除けば、全国ほぼ一律の価格で売っている日本の書籍事情とのちがいが鮮明で、とても面白いなと思った次第です。こんど台湾の大学を観光するときは本屋にも寄ってみたいと思います。

 

 さて肝心の中国語ですが、「レジ袋いりません」がスムーズに言えるようになり、成長著しい毎日を送っています。やったね!

 

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経営戦略の名著を教えてくれる本――『星野リゾートの教科書』

 星野リゾートは旅館・ホテルの運営会社である。1904年、長野県軽井沢町で創業した老舗旅館「星野温泉旅館」がその前身で、4代目社長に就任した星野佳路(よしはる)社長は、独自の経営戦略で日本を代表するリゾート運営企業へと成長させた。星野リゾートの特徴のひとつは、施設所有にこだわらない運営特化戦略だ。全国各地でリゾートの運営を引き受けながら、軽井沢や京都では高級旅館「星のや」の展開を進めている。

 

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画像引用:星野リゾート奥入瀬渓流ホテル グランドオープン | 奥入瀬エリア情報

 

 アメリカのコーネル大学ホテル経営大学院で経営学を学んだ星野氏の経営戦略は、「教科書通り」を徹底するスタイルだという。『星野リゾートの教科書』は星野リゾートケーススタディとともに、星野社長がどんな「教科書」を活用してきたのかを紹介する内容になっている。

  

星野リゾートの教科書

星野リゾートの教科書

 

 

教科書に書かれていることは正しい

 「経営に教科書なんて役に立たない」という疑問をもつ人も多いかもしれない。しかし星野氏によれば、そう感じるとしたら「理解が不十分」か「取り組みが徹底されていない」可能性が高いという。「教科書に書かれていることは正しく、実践で使える」――。星野社長がそう確信する背景にあるのは、「企業経営は、経営者個人の資質に基づく『アート』の部分と、論理に基づく『サイエンス』の部分がある」という洞察だ。

 

 経営手法を社会科学的に分析し、体系化したものこそがサイエンスに基づいた「教科書」であり、そこに書かれている定石(セオリー)を経営判断の指針とすることは理に適っている、というのが星野氏の主張である。そしてまた、ひとつの経営判断のミスが致命的なダメージにつながる小さな会社こそ、教科書通りのセオリーを活用する意義が大きいと星野社長は強調する。

 

教科書としてふさわしい本とその読み方について

 もちろん、「教科書通りにやりなさい」と言っても、経営にかんする本なら何でも良いわけではない。星野社長は教科書の選び方と、その活用方法について3つの指針を提示している。

 

1.書店に1冊しかないような古典的な本ほど役に立つ

 教科書に適した本は新しいものよりも古典的理論のなかにある、というのが星野氏の基本的な考えだ。流行の波を乗り越えて体系化された理論だからこそ、定石として使える。著者のプロフィールもチェックし、学問と実践(ex.コンサルタントなど)を行き来した研究者の本がよい。経営者の感性や成功体験にもとづくエッセイなどは教科書としては利用しづらい、ということに自然となるだろう。

 

 候補となる本を見つけたら、1章のエッセンス部分をざっと読み、「自社が抱える課題にとって役立つ教科書になりそうか」という観点、自分の悩みにたいする“フィット感”で決めるとよい。

 

2.1行ずつ理解し、分からない部分を残さず、何度でも読む

 教科書として活用するためには、読み物的な読み方ではいけない。1行ずつきちんと理解しながら読んでいく。何度も読み返すために、時には数か月間でも持ち歩き、線を引いたり、付箋を貼ったりする。思いついた点は本に直接書き込む。読書メモは、本とメモが離れてしまうのでおすすめしていない。

 

 教科書から離れるときは、本に書かれた自分のアイデアをプレゼンテーションソフトで一気にまとめていく。

 

3.理論をつまみ食いしないで、100%教科書通りにやってみる

 学んだ理論を実際の経営に適用する場合には、教科書に書かれていることをすべて忠実に実践してみる。「3つの対策が必要だ」とあれば、必ず3つすべてを実施すること。「導入しやすい部分」「都合のいい部分」だけを導入しようとする人は少なくないが、そのやり方だと、成果が出なかったときに原因が特定できないからだ。


 上記の3つのポイントは一見大変そうだが、それほど難しくないと星野氏は言う。

 

教科書通りの戦略を打っても、なかなか成果が出ないこともある。私は何度もそんな経験をしてきたが、苦しいときでも教科書通りだという自信があれば耐えられる。
うまくいかないときには戦略を微調整することを考えるが、その判断は慎重にする必要がある。「効果が出るには時間がまだ不足している」「きちんと教科書通りにしていない」という理由で成果が出ていない場合は、戦略を変える必要はない。そんなときに作戦変更することは深い霧の中に入っていくようなものだ。

(…)

微調整をするのは、すべてを教科書通りにやり切ってからである。*1

  

気になった教科書

 さて、実践事例とともに本書の中で紹介される30冊はどれも魅力的に解説されているのだが、ここでは特に気になったものをいくつか紹介してみたい。

 

『競争の戦略』 
競争の戦略

競争の戦略

 

 

 お客様視点のマーケティングが強調されていた時代に、「ライバルの動向こそが重要だ」と喝破したポーターの理論。ポーターは企業がライバルとの競争で取るべき戦略として以下の3つを挙げ、この中から戦略を選んで徹底すべきだと主張した。

 

1.「コストリーダーシップ」:コスト競争力で優位に立つ
2.「差別化」:競争相手との違いを前面に出す
3.「集中」:特定の領域に自社の経営資源を集めてライバルに勝つ

 

 ケーススタディでは、島根県松江市玉造温泉にある「華仙亭有楽」や長野県松本市浅間温泉にある「貴祥庵」の事例が紹介されている。団体客旅行から個人旅行の時代へと変化し、それに伴って団体客の減少分を個人客で賄おうと二兎を追ってしまった旅館を、星野社長はポーターの理論を適用して再生を実現した。

 

『1分間顧客サービス』 
1分間顧客サービス―熱狂的ファンをつくる3つの秘訣

1分間顧客サービス―熱狂的ファンをつくる3つの秘訣

 

 

 本書でも取り上げられている『ビジョナリー・カンパニー』が経営ビジョンの重要性について語るものなら、こちらはサービスコンセプトの重要性を強調する著作といえる。会社の向かう方向である「ビジョン」を決めるのは経営者の役割であるが、そのビジョンに基づいて個々のサービスの「コンセプト」を決めるときには、社員やスタッフを巻き込みながら明確化すべきだとする一冊。

 

 このビジョンやコンセプトというのはいまいち飲み込みにくい概念だと思うが、星野リゾートの例で考えると非常に分かりやすい。

 

経営ビジョン
 「リゾート運営の達人」になる

 

施設ごとのコンセプト
 星のや京都:「水辺の私邸」
 リゾナーレ(山梨):「大人のためのファミリーリゾート」
 青森屋(青森):「のれそれ青森」
 タラサ志摩(三重):「海エナジーをチャージする」

 

 経営ビジョンによって会社の向かう方向を示したうえで、個々のサービス施設とそこで働く関係者たちの「なりたい姿」を明確化していくというものだ。お客様の要求が自分たちの目指している製品・サービスと合致しない場合、「要求を無視すべきだ」と断言しているという点も、たいへん興味深い。

 

 著者のブランチャードは、「1分間」シリーズで有名な人物で、彼の著書は名だたる企業の「教科書」になっているらしい。本書で紹介されるもう1冊の本『1分間エンパワーメント』も非常に面白そうだ(ただし絶版のためすごい値段がついている)。

 

『イノベーターの条件』 

 

 いわずと知れたドラッカーの著作だが、ドラッカーの本はいくつも出ているので、どれから読もうかといまだ手を出せずにいるもののひとつ。そもそもドラッカーのマネジメント論は、ナチスドイツを生み出した全体主義的組織を分析し、こうした非人間的な組織の発生をいかに防ぐかという観点で書かれていたはずなので、個人的にはマネジメントの理論そのもの以上に、ドラッカーの社会に対する分析の方に興味を持っている。「はじめて読むドラッカー」シリーズの社会編ということらしいので、まずはこのへんから読んでみるのがいいかもしれない。

 

『戦略サファリ』 
戦略サファリ 第2版 -戦略マネジメント・コンプリート・ガイドブック

戦略サファリ 第2版 -戦略マネジメント・コンプリート・ガイドブック

 

 

 学問全体に共通する話だが、経営学の内部にもどうやらいろいろな立場があり、一見万能そうにみえる有名な理論にも批判が加えられていたり、ある仮定のもとでのみ適用できる理論であったりと、「これが正解」という理論は、当然ながら存在しないらしい。自分が適用しようとする理論を学びつつ、その限界を知っておくこともまた重要だろう。

 

 この本は、経営学の戦略論を10学派に分け分析した内容とのこと。本書ではわずかなコメントとともに紹介されているにすぎないが、学問的関心がある人間にはなかなか面白そうな内容である。

 

 

 以上、簡単に紹介してみたが、とりあえず読みたい本がみつかることと、「星野リゾート泊まってみてえ~~」となるのは間違いない!

*1:星野リゾートの教科書』pp.24-25

センスと創造性の理論――中山正和『カンの構造』

 世の中にはセンスの良い人というのがいる。でもこの「センスが良い」とはどういうことだろうか? 別の言い方をしてみると、センスが良い人というのは、「カン」のいい人ともいえそうだ。『カンの構造』ではこの「カン」とは一体何なのかということを、脳の構造、とりわけ情報処理の観点から分析している。

  

カンの構造―発想をうながすもの (中公新書 174)

カンの構造―発想をうながすもの (中公新書 174)

 

 

 脳の構造を考えるまえに、コンピューターの仕組みを考えてみるのが議論のスタートとしてよいだろう。コンピューターは「CPU」という部分で計算処理を行なうが、その際、計算して得られた値を一時的に記憶しておく仕組みが必要になる。この一時的な記録のために使われるのが「メモリ」である。メモリに保存したデータは、計算の操作で必要になればすぐに取り出せるが、メモリにどんどん記憶させて肥大化していくと処理能力の低下を招く。そこで不要になったデータは適宜削除するか、あるいは、すぐには使わないにせよ後々利用することを考えて、「ハードディスク」に消えないデータとして保存しておく。

 

 ごく単純化していうと、コンピューターはだいたいこのような形でデータ処理をしているが、人間の脳もまたおおよそ同じような仕組みで動いており、知覚されたものを記憶するためには、メモリに相当する「早い記憶」とハードディスクに相当する「持続する記憶」の2つの記憶メカニズムが作動する必要がある。ここで重要と思われるのは、後者の「持続する記憶」として脳に残される情報というのは、ぼくたちが常識的に考えているよりも遥かに膨大な量だということだ。

 

脳はすべて「覚えている」

 人は日々経験したことを記憶し、忘れていく。ぼくたちは「忘れた」という状態を、いちど記録はしたものの、脳の記憶領域から情報じたいが消失してしまった状態、とイメージしがちである。でも実際の脳の動きはそうなってはいなくて、じつは脳の記憶領域に情報そのものはずっと残っているのだという。情報は残っているのだが、その情報が他の情報から孤立してしまって計算のプロセスからアクセスできない状態——。「忘れた」とはこういう状態のことを指している*1

 

 実際、ある話題の本筋とは直接関係がない情報をたくさん記憶しているという事実は、ぼくたち自身の経験とも合致するだろう。たとえば、ある講義を聞いていて、先生が「AだからBであり、それはまたCということでもある」という説明(1)をされた場面を考えよう。ぼくたちは先生のしたその説明内容を記憶している。と同時に、その講義の最中にあった周辺の情報(2)——隣のヤツがずっとくしゃみをしていてうるさかったとか、ななめ後ろの人が途中で電話が掛かって来たので席を立ったとか——もまた記憶しており、なんならこうした後者(2)のような他愛もない、とくに覚えるつもりもなかった情報の方を印象的に覚えていたりする。

 

 この(1)のようなタイプの記憶の特徴は、Aと、Bと、Cという情報が「A→B→C」という因果関係によって、つまり論理によって繋がっているという点である。そしてこういう線的な記憶というのは、途中でそのリンクが切れやすいのだそうだ(下図ではDからEへのリンクが途切れている)。切れやすいために、こうした記憶を定着させようとするなら、情報の繋がりを反復することによって、個々の情報とともに因果関係そのものも記憶することになる。

 

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 他方で、(2)の情報というのは、個々の情報は因果のような強い関係で繋がってはいない。著者が「周辺記憶」とよぶこちらの記憶のあり方は、それぞれの情報が、時間の前後関係も含めてあいまいに、ある情報から別の情報をいわば連想するようなかたちでリンクしている(たとえば上図のa→b→c→dなど)。もちろん周辺記憶もまた個々の情報どおしのリンクは時間の経過とともに、やがて切れていく(上図の左側で孤立した丸がそれを表している)が、これらの記憶は、意志的に記憶しようとした情報よりも圧倒的に量が多いことには注目しておいてよい。

 

 図式的にいえば、個々の情報がネットワークを成しているようなイメージであり、一本の縄よりも網の方が切れにくいように、周辺記憶の網の目を張り巡らせておく方が、特定の記憶情報へのアクセス経路を失いにくくなる。――以上の分析から、こうした記憶の特性と「カン」には重要なつながりがあるのではないかと著者は考えた。

 

 ところで、コンピューターが得意なのは(1)のような論理の計算である。論理による判断はいくらでも高速に辿っていける。反面、(2)のようなあいまいさのある、非論理的なつながりの場合、コンピューター自身では判断できないし、人間から与えられていない新たなリンク条件を創造することは難しい。コンピューターのする仕事をみて、「カンがいいね」とか「センスがあるね」とは普通は言わないが、だとすれば、人間とコンピューターの最大の違いもこの(2)の能力にこそあるのだろう。——それが本書の中心にある洞察である。

 

周辺記憶と問題意識

 論理的なつながりを忘れてしまったとき、それと関連しそうなあれこれを想起したどりながら、「ああ、そうだそうだ」というかたちで思い出せたりする。ある種の記憶術では、何かを覚えるときに、記憶の場面や内容にまつわる視覚イメージや匂い、音といった情報を同時に記憶させたりするが、これも発想は近い。周辺記憶がある論理の行き詰まりを解決するヒントとなるのである。この周辺記憶のインデックスのされ方は、「似たもの」「同じもの」といった類比(アナロジー)によって情報同士が結合するようなイメージになる。

 

 さて、ここまで記憶を思い出すしかたについて述べてきたが、アイデアを思いつく場面についてもこの枠組みはほとんどそのまま適用することができる。アイデアとは、あるものと別のあるものの組み合わせであり、記憶のなかにある雑多な情報がその素材になりうるからだ。

 

 周辺記憶はたくさんストックされていることが大事だ。とはいえ、情報だけがただ大量にあるだけでは、カンがはたらくにはまだ不十分である。「どの情報にフォーカスすべきか」という基準が定まらないからだ。そこで、問題意識をもつことが、その観点における関連の高い情報がしぜんに集まってくることにつながる、と著者はいう。

 

(中略)必要とする記憶が、われわれのもつ問題意識のまわりにガウス分布をする。山の高さを増すためには、問題意識を強く持つよりほかに手はないのである。*2

 

 このとき、個々の情報ひとつひとつに意味があるのではなく、それらの集合が与える情報量にこそ意味がある。膨大な量の(非論理的な)周辺記憶をふたたび論理へとつなぐ、そうした質的な変化をもたらすもの、それが問題意識である。

 

このような、圧倒的な数のちがいというのは、質的な変化をもたらすのである。*3

 

 カンの技法

 ある問題が論理的には解けないときに、その解決の方向を、非論理的に示してくれるのが「カン」である。では、そのカンをはたらかせるためにはどうすればよいのだろうか? 著者は、まずはその問題を徹底的に論理面から追求しつづけること、さらには「何でも見てやろう」という主体的な態度を身につける必要性を説いたうえで、具体的な手法をいくつか提案している。

 

 ひとつは、情報の結合を促すために「立場を変えてみる」方法で、具体的には以下の3つのメソッドが紹介される。

  1. 人格的類比
  2. 直接的類比
  3. 象徴的類比

 

  人格的類比は、「そのものになりきってみる」という視点をもつことで、「機械はこんな気持ちがするだろう」というように情緒的な類推を行なう方法。

 直接的類比は、「自然界にそれと似たものはないか」と探る方法で、“携帯に便利な自動車用のジャッキ”を設計するといった課題であれば、たとえば「必要なときに伸びて強くなる→ペニスはどうか」といった連想例が紹介されている(笑ってしまった)。

 象徴的類比は、おとぎ話などのように、「審美的には共感できるが、論理的にはおかしなもの」を思い浮かべてみる方法である。先の例なら「インドの魔法の綱→必要な時にするする伸びる」といった具合だ。

 

 これらのメソッドはいずれも、論理的な推論を積極的に排除して、非論理的に「似ているもの」を探索することを目指しているといえるだろう。いわば比喩によるジャンプを起こそうという話であり、ある種の文学的な感性が活躍する場面になりそうだ。このことで思い出すのは、自分の経験上、身近にいる「センスのある人」たちには、くだらないギャグやダジャレを日常的に思いつき、口にせずにはいられない傾向というか共通点がある気がしていて、おそらくこのあたり、連想の感受性の問題と関わっているのではないだろうか。

 

 さて、もうひとつは「KJ法(カミキレ法)」という発想法で、ある問題にたいする観察記録やアイデアをカードに書き出して、それを一旦シャッフルしてしまい、再度似たもの同士でグルーピングをしていくという手法だ。ようするにこれは、論理的な思考によって導かれた個々のアイデアをあえてバラバラにするというやり方で、時間的(言語的)に把握された情報を、空間的把握に置き直すことを目的とする。つまり脳の周辺記憶モデルと近い状態を再現しようというやり方である。 

 

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 じつはこれに近い試みをトラベルブックでも実施したことがある。「デザイン思考」という慶応大学の奥出直人氏が提唱するメソッドなのだが、正直にいえば、発想法の威力を十分に実感できた! ・・・とはまだ言いがたい。本書で紹介されている発想法習得における独特の難しさにかんする記述は、まさしくそのときの実感を言い当てたものになっている(笑)。

 

しかし、正直なところ、〔本書で紹介される〕シネティクスの訓練は、ひじょうに気の重い仕事である。

 

まず第一に、とくに技術者は、どうしても論理過程にとらわれてしまって、「一見関連のない雑物」を追って、類比の世界に入りこむことがむずかしいこと。第二に、自分のプライドのために、自分一人で解をだそうとする傾向から脱出できないこと。第三に、「そんなことはバカバカしい。子供のようなマネはしたくない」という気持やハニカミ、テレてしまうこと、その他である。

 

したがって、部会においても、いくつかの類比を使ってみても、どうもよいヒントがえられないという場面になると、とたんにおしだまってしまう。リーダーがなれていればいいが、そうでないと、リーダー自身が不快楽反応をおこしてしまう。 

 

 本書の間接的な解説によって、やはり問題はメソッドが有効か否かという以前に、その活用にあたっての心構えの不足にあったように感じた(たとえば、「なにを解くべきか」の決定&共有が不十分だった点など)。

 

  

非論理が生みだす新しい論理=アイデア

 本書は「カン」という「論理的には説明できないが、こうだろうと分かっていること」、リクツでは十分説明できないが「正しい」という直観について論理的に説明しようと試みた本であった。この本が書かれたのは1968年と50年近くも前だから、ここまで紹介した内容のなかには、現在では修正が加えられた内容もあるかもしれないが、基本的な思考の枠組みはいまなお有効と思われる。

 

 ところで、本書と似たことを近年考え続けている人物のひとりがドワンゴ川上量生氏だろう。川上氏は、脳の情報処理の観点から「コンテンツとはなにか」ということを分析しており、問題関心としては非常に近い。川上氏は良質なコンテンツの条件について、ジブリ映画を引き合いに出しながら、「分かりそうで分からないもの」であることをその要件として指摘しており、さらにはニコニコ動画の運営自体も「何か分からないもの」「説明のつかないもの」——しかし川上氏自身には、「正しいし必要だ」と直観されているもの——を残しておく方針を徹底していると述べている。

 

 

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)

 

 

 本書にせよ川上氏せよ、語られているのは要するに、「どうすれば創造的な仕事は可能になるか」ということだろう。そして「カン」は創造活動、とりわけ“生みの苦しみ”における突破口をもたらす契機となりうるものだ。

 

 著者の中山氏は言っている。重要なのは、自由な心の動き、あるいはアソビ(Play)である。カンは「ハッと気がつく」ように自発的なかたちをとって現われる。問題追跡が終わりに近づくと、問題のほうから解けてきてしまう、そんな感情が湧いてくる。そして問題が解けるまえに、すでに「これはイケるぞ」というたのしさを感じる*4、と。――こうした甘美な創造的瞬間をより多く迎えるために、カンを磨くのじゃ。必死で。

 

*1:フォトリーディング」という速読の技法は、まさにこの理屈を応用している。理屈分かってもできないけど!

*2:『カンの構造』p.65

*3:『カンの構造』p.22

*4:『カンの構造』pp.99-100